新澤さんは、2019年1月に事務所と契約。その際、専属マネジメント契約書に、メンバーの承諾ない脱退など「1つの違反につき違約金200万円を支払わなくてはならない」という条項があったものの、自身の夢のためにサインした。
契約では、給料は歩合制とされていたが、実際は固定給だった。繁忙期になると休日も月に1日あるかないか。「ライブで女装しよう」などと提案されるなど、次第に体力・精神的にも限界となり、19年12月に適応障害と診断された。20年7月に病気を理由に脱退を申し出るも、面談で事務所の実質的な経営者から「辞めるならば3年間いるのか、お金払って辞めるかのどちらかの選択肢しかない」などと言われたという。
新澤さんは弁護士に相談し、20年8月に契約解除の内容証明を事務所に送付。それに対し、事務所は6〜9月までのリハーサルやライブの無断欠席4回と無断脱退の5件、計1000万円の違約金から、未払い給料の11万円を引いた989万円を請求する訴訟を大阪地裁で起こした。
この日の記者会見では、弁護士が経緯を説明したほか、新澤さんと経営者とのやり取りを録音した音声を流した。その上で「活動実態により法的には労働契約であるといえる」と指摘。労働基準法附則137条により解除通知による契約解除は有効、違約金については同法の「賠償予定の禁止」にあたり無効と主張した。また20年7月分の未払い報酬について反訴を提起しているという。
給料は19年1月〜20年6月までで、月6〜15万円をもらっていたという。新澤さんは「育ててもらっている認識もあったので、『とても低い額ではないんじゃないか』と思っていた。夢を後押ししてくれている、という認識。安かろうと『夢に近づけるのであれば』と当時は思っていた」と語った。生活は苦しく、「最初の3ヶ月はやりくりできなかった。貯金をすり減らしての日々でしたね。最初から最後まで赤字だったと思います。足りないときは親に頭を下げていた」とした。また、面談で経営者から迫られた選択肢は「地獄」とし、「円満で終わることができたんじゃないのという意見もあったが、円満には終われなかった」と訴えた。
これまで事務所が育ててくれたことに感謝しつつも「過度なスケジュールなど、思い出すだけでも記憶が蘇り、死のうとすら思ったくらい重かった」と本音を吐露。「体調的に毎日のように吐き気をもよおして一睡もできなかった。リハーサル、ライブ、接待…。考えると震えと涙が止まらないような状態だった」と当時の実情を明かした。現在体調が回復しつつあるが、つらい思い出がフラッシュバックすることもあるそう。しかし、「夢もあるので負けていられないなって。少しずつ前向きな気持ちになっている」と明かした。
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